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以下に近頃考えている(途中)のことをしばらく掲載してみることにしました。というのも、mamoruのWebサイトの「NEWS」ページまで辿り着く方というのは相当にレアな方々だろうと思うのと、そんな方々にならまだ定まってすらいない考えを「NEWS」としてシェアすることもありじゃないか?と最近考えたりしたからです。昔はblogなんてのをやってましたが。その代わりかもしれません。ちなみに最新のニュースはHOMEページにて。

20230721_AI(とかVR)は果たして『新しい』のか?
人間の脳や感覚器官、人間が認知する現実、を人間がシュミレーションしつくしたところに見えてくるのは人類にとって「究極の鏡」となるのではないか?そうして人類はこれまでになく相対化された「人類」と出会い、さらにこれまで明瞭に知り得なかった次元で「人類」を体現した「人類」あるいは「人類のようなもの」または「やっぱり人類か」のような何かしらに出会うのではないか? AIやVRといった先端テクノロジーの開発速度と同じ速さで「人類」の再発見と再定義がはじまるだろう。そしてその再定義は同じ速度でこれまでの人類史を振り返ることになる。 情報を多く持っている状態が「知る」であるとすればAIはとうに人類未踏の「知る」に達している。得ている情報から未知の推察やアイデア、思考を得ることが「知る」であるならそのうちかなりの精度と説得力をもってAIのほうがあらゆる可能性、選択肢を具体的に羅列し得るようになるだろう。その時に人類は「知るとはなにか?」、いや「知ることとはつまり何だったのか?」と考え、自問するだろうか?あるいはChatGPT ver.Xに聞かざるを得ない程度に人工知能への人類知能のアウトソーシングは完了しているだろうか? AI研究が開いた扉は実は、生命体・感覚器官の集合体としての人類を研究するだけでなく、人類史を内省することになるだろう。果たしてそこに何か新しい可能性という名の希望があるだろうか?あるいは旧態依然と欲望し自滅していく人類の再現性に対する全き絶望だろうか? 人工知能が取り込むデータが例えば人類以外の動物、植物、ウィルス、菌類などに拡張され人工マザーアース化したとしよう、さらには地球外生命体もそこに加わったたとしよう。したとしても、そのプログラムの起点となる観察者はもとを正せば全ては「人類」なのであり、人によって作られたものであるはずだ。現在すでにはじまっている人類と人工知能の往還によって、例えばプロンプト思考に特化しAI化した人類が育ったとする、そのAI化した人類におってさらにAI化した人工知能が生まれる、このサイクルが延々と続きAI性が人類性を延々と希釈していったときに、人類という種からは想像もつかない形へと育ち、思いもよらぬ花を咲かせ、期待もしていなかった実をつけたとしても、種がなんであったかはその形態に宿っている事実は消えない。結局の所希釈されようと、痕跡になろうと、AI的なものの要素が還元的に「人類性」を帯びる事態は避けがたい、と思われる。少なくとも当分の間は。 あるいは特異点というのは、「人工〜」や「仮想〜」が人類性を離れるときなのかもしれない。その時までは、たぶん、AIもVRも「新しい」ものではない。昔なつかしの慣れ親しんだあの「人類」なのだ。



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