photo: Seiya Kawamoto, 2022
mamoru, 13.09.2023
アーティスト、サウンド・アーティスト、アーティステック・リサーチャー、作家、作曲家、元ジャズピアニストでまだ多少演奏もする音楽家?、などなど辿ればいくつも肩書があった・あるけれど何よりも説明のできない興味関心を頼りに、それらを「聴こうとする」ことをただ続けてきた。だからリスニング実践者、とでも言おうか。。。。
ある「響き」の中に身を置き全感覚を傾けそれをとらえようと「リスニング」を続ける。集中すればするほど「それが何であるか」という断定を求める態度と結論は先送りされ想像が生まれ膨らんでいく。聴く人はその響きのただ中で振動をはじめ響きと一体となる。こんな風にして物事に意識を向け全感覚を傾けて探求する姿勢を「リスニング」と呼びその練習を続けてきた。想像と思考が次々と生まれ知る体験を繰り返す中で意外な形で世界と関わるようになった。
楽器を自作したり改造したりして即興的に奏でる音や日常のなかに潜む微かな音からはじまり、私にとっての「リスニング」の対象は、想像を喚起する言葉やイメージ、そして黙殺され沈黙する数々の歴史へと拡がった。例えば誰かが言った一言から音を伴う場面を想像したり、古い一枚の写真を眺めてはそこに写り込んだ「音」を想像したり。
5年ほどかけて17世紀オランダにて出版された地誌本に掲載されている情報と想像に満ちた日本の姿に興味を持ち、その本とイメージが生まれてきた背景を調べていくうちに、オランダに住み、台湾とインドネシアに足繁く通った。現在の世界やアジアにおけるヨーロッパ諸国と日本によるコロニアルな歴史に埋もれた数々の小さな複数形の歴史を知るきっかけになった。それらの狭間からさらに漏れ聞こえてくる小さな声を頼りに台湾の東海岸で戦中に日本人考古学者達が発掘を行ったという地にたどり着き、興味深い話しを先住民であるぷユマ族の長老たちから聞くこととなった、というように。そう、耳を澄ますときに探求は深まり、結論は先送りされ、想像が生まれ膨らんでいく。
そんな「リスニング」を通じて得た発見は声/語り/歌、文字/字幕、フィールドレコーディング、音楽、映像などを素材としつつパフォーマンスやインスタレーション作品として発表してきた。
この頃は特に声にまつわるアイデアを試したいと思っていたり、普通に音楽を作ってみたいと思ったり、自分だけではなくグループであるいはコレクティブで制作をしたいと願ったり、探求は続く。
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