NEWS biography works blog HOME ENGLISH |
私たちはそれらを溶かし地に注ぐ/WE MELT THEM AND POUR IT ON THE GROUND |
|
このアーティステック・プロジェクトにまつわる時代背景 1895年に日本帝国初の植民地となった台湾。日本統治時代初期、数多くの科学者たちは台湾総督府に雇われ「日本」となるべく運命づけられた島へと渡り、文化、人種、資源的研究などを行い植民地政策に寄与する事となった。このアーティステック・リサーチプロジェクトで取り上げる日本人考古学者達も日本人の起源に興味関心をもち海を渡り、台湾の多様な先住民族達に接触し、当地における最初の近代科学的な研究を行い非常に重要なコレクションやアーカイヴを残し台湾人研究者第一世代を育てた人類学、考古学系の科学者達であった。同時に、彼らの研究の一部は「日本人」の定義を「大東亜人」へと都合よく解釈し帝国拡大を正当化する理論的背景として利用された。 私たちはそれらを溶かし地に注ぐ/WE MELT THEM AND POUR IT ON THE GROUND (シングルチャンネル・ビデオエッセイ、HD、ステレオ、20’29"、 2020) 第二次大戦末期、日本統治下の台湾東海岸卑南という土地で金関丈夫と国分直一という二人の日本人民族考古学者によって発掘が行われた。米軍空襲下、なぜ命の危険を伴う状況でなお発掘作業を行ったのかという問いを軸にして、発掘時に撮影された白黒写真、後年撮影されたインタビューの音声などを織り交ぜつつ、一般的にまず知られることの無い小さな史実は紐とかれていく。作品の核となる短い学術的なレポート「台湾東海岸卑南遺跡発掘報告」(金関、国分、1957)は色鮮やかな背景色とリズミカルなサウンドトラックによって光と音の明滅するオーディオ・ビジュアル装置へと変換され、鑑賞者を想像上の「1945年1月、卑南遺跡」へと導く。
作品途中、卑南遺跡に隣接する地域に当時も今も暮らすプユマ族の長老達のインタビュー映像が挿入され、二人の日本人考古学者発掘を行い米軍機に襲撃された地に、戦中子供だった長老たちが米軍の空襲後にそこかしこに散乱した薬莢から鉛を集め、地面を掘って鋳型をつくり、そこへ溶かした鉛を流し込んでは装飾品を作っていたという全く別の歴史的振る舞いが接続されていく。ナレーション、ストーリーテリング、ビートにのり韻を踏んだラップ調など度々変調する声によって、空襲下における二つの振る舞いとその残響、そこに共振する戦争という抗うことをゆるさない暴力に対するレジスタンスとが語られる。
GALENA 告白|confession (シングルチャンネルビデオ、HD、ステレオ、6’24”、2021) シリーズ第二章となるこの映像は、第一章「私たちはそれらを溶かし地に注ぐ」で示された弾丸というモチーフ、そして「考古学者達を狙い米軍機から放たれた弾丸はどこへ消えたのか?」という疑問、はある意味で時間を遡る形で再び、しかし全く別の方向へと舵をきった上で、提示される。
ナレーションに声は無く、字幕のみによって神話調に綴られる鉛の物語。それは地下資源を乱掘、乱用し尽くしてきた人類の告白でもある。映像を貫く複雑なドローン音、スローモーションで回転し旋回しつつクローズアップする鉛の結晶、ガレナ。その背景にぼんやりと映されるのは、鉛の採掘によって生み出されたクレーターのような膨大な空洞とくず山(チャットパイル)による非現実的な風景。それは世界大戦中、アメリカ軍が使用した鉛弾頭の大部分のもとになった鉛が掘り出されたその痕跡である。その後アメリカにおける最も汚染された地帯として認定され、完全に荒廃していった元鉱山地域に漂う空虚感。ここには何かがあった、という非存在の提示はシリーズの他の作品とも共鳴していく。
とある小さな救済の輪郭/a contour of a small relief (鉛板、 2021) photo: Ken Kato まだ来ぬ私たちの歴史を予見するためのマテリアル、そうでなければ(それは巡りついにはそれ自身に折り重なるようにして成る)とある化石/a material to foresee our histories yet to come otherwise a fossil(that flows and would eventually be layered upon itself) (鉛ガラス、2021)、ガラス制作:廣瀬絵美 photo: Ken Kato |
(c) 2023 a few notes production |