THE WAY I HEAR, Hanoi 2011

Cafe KINH DOH
listening view / 2011.10.06 Cafe KINH DO
photo: mamoru

listening memo

 

2011.10.06 15:19-27 教会近くの Cafe KINH DO にて

・後ろから女の子たちの話し声
・すぐ隣からフランス人旅行者の会話
・通りで学生同士 呼び合う声
・目の前の男性がジョークを言い、笑っている
・カフェ店員がプラスチック製の椅子を動かす音
・店の冷蔵庫の音(継続音)
・女の子たちがひまわりの種をわりつつ 食べている
・バイクや車のクラクション
・自分の椅子を動かす
・新しく入ってきた客が 既にいた友人に挨拶
・小学生(?)が走り回っている
・誰かがバイクのエンジンをかける
・後ろの方で店員がコーヒーカップを洗いはじめる


2011年10月15日のブログより

「ハノイに来てから15日目。

最近は毎日数回ほど、リスニングノートをつけています(マリー・シェーファーという作曲家が昔に紹介したエクササイズに近いものです)。約10分間じっとして、ただ聞こえてくる音を箇条書きで書き留めたり、音を頼りに情景が想像された場合は描写を書き加えたりしています。例えば、今だと「表の通りで誰かが水を打っている音が聞こえる」、「階下の食堂でおにいちゃんが中華鍋を振ってコムラン(チャーハン)を作っている音が聞こえる」とか既知の情報や認識とその場で聞こえてくる音が組み合わさって感じられる内容を「音」として書き留めるわけです。

これを、いろいろな場所、時間、曜日で行うと、書き記される場面は変わるのですが、共通項(車やバイクのクラクション)が聞いてるうちにわかってきてハノイのサウンドスケープみたいなのが頭の中に組み上がってきます。その時々、場所場所で、ドラマチックな「面白い音」(突然のスコール)や、「特徴的な音」(物売りの叔母さんのかけ声、路上の床屋さんのハサミの音)など、ランドマーク的な音という意味で「サウンドマーク」とでも言えそうな音に出会うこともあります。

どの街でも、住んでいると、こういう音の差異がなくなり、ただ聞き流す対象としてだけ認識されていくことがほとんどだと思います。なので、部外者として私がこういう事を行い、再認識する機会いを作るだけでも何かしら発見があったり考えることがあったりするかもしれません。ただなぜこのリスニング行為をハノイで行い、なぜハノイの人たちに提示する必要があるのか、自問自答しています。

こちらに来る少し前から、ベトナムの歴史を古代から、近現代にわたって一通りだけれど読み通しています。彼ら(複雑な民族変遷があるのであえて「彼ら」とします)の数千年に渡る中国との関係、他の東南アジア諸国との関係、仏領時代、抗仏・抗日、ベトナム戦争、国内の権力闘争やアジア通貨危機、そして現在のベトナムを動かす自由路線ドイモイ政策。読んでいて、改めて現在のハノイの経済的な発展や、都市化されてゆきつつある街のほこりっぽい姿というのは、ここ百年くらいで考えた場合特にレアな状態なのではないかと思い至りました。

例えば、私は自転車で移動していますが、ほとんどの人達はバイクにのっています。でも10年前は圧倒的に自転車だったと友達は言います。つまり街に溢れかえっていて、耳栓をしようとも聞こえてくる、ほとんど騒音と思われているこれらの音も実は「レアもの」希少な音の塊なのかもしれない。レアだから「良い」という事ではないですが、人がこうしてとにかく生きていて活力に溢れて暮らしている事の証だとすれば「聴くに値する音」じゃないだろうか。だとすればわかりやすい「サウンドマーク」を探すことよりも、ただ淡々とそこにある音を書き留めておく事がそのものが重要かもしれない。そういう思いに至りつつあります。

そんなことをふと思った時に、今年の4月に出版した本のあとがきを書いた経験を思い出しました。ちょうど出版を控えていた時に東日本大震災があり、追記という形で私は「希望に満ちた日常の音が響いてくる事を心から祈ります。」と書きました。当たり前ですが、音が聞こえるということは、そこの周辺に何かが行われていて、誰かが居て、その音が聞こえる範囲に別の誰かも居て。。。最低限の「社会」がある、という事の証明だと思うのです。無音や反響がない状態を音用語でも「dead」と表現しますが、まさに音がないというのはそういう事なのです。

昨日は、展示の際にこれらの音の記述を入れる箱を作ろうと思い、ブリキ屋にいって箱をオーダーしてきました。思った通りになるかわかりませんが、私を含めて数人で聞き取った音や、その記述というのは、きっと何かしら価値があるものなんだ、という事を簡単なやり方で提示出来れば、と思ったのですが。果たして、どうなるのでしょう。仕上がりりに期待!

ちなみにこの作品は「The way I hear」というタイトルの予定で、私の他に、4人の映画専攻のベトナム人学生達の協力を得て、グループワークを行うことにしています。それぞれのWayが音の記述から読み解かれ、同時に読む人たちが記述から何かを想起できたとしたら、彼らのWayともつながるだろう、と期待しています。」


listening viewlistening view 2011.10.19 at NOI QUY SAN GHOI C4
photo: Motoyuki Shitamichi

listening memo

2011.10.19. 14:14-24 NOI QuY SAN GHI C4
路地裏の小さな広場にて

・いろんな種類の鳥が鳴いている(継続的に)
・右側のアパートの上階あたりから 金槌で釘を打つ音?
・私の後方のアパートの向こうから 交通音
・右側の狭い路地を クラクションと共にバイクが通り過ぎる
・誰かがチェーンソーで作業している
・コンクリート広場に 幾つか落ち葉が風で動く 木から落ちる
・老女がバケツの水をまく
・左後方から ハイヒール履いた女性が通り過ぎていく
・誰かが口笛を吹いている
・アパートの中から 洗濯機(ポンプの音)
・ポケットの中の鍵の音と共に 誰かが通り過ぎる
・すぐ脇にバイクが停車

 



リスニングメモ(原文のみ)/PDF > download 3.5MB


現地の学生4名にもリスニングメモをしばらくやって貰い、それを私のメモと同じ仕様で展示することにした。展示に来る人たちの中にはベトナム語しか読めない人もいるだろうし、私自身、彼女たちに参加してもらう事で、よく知っているはずの音風景であっても何かを発見することができるのか知りたかったし、運良く彼女たちは皆映画の学生だったので、メモをとる際にかかせない状況描写に長けていることもあって、このエクササイズを気に入るかもしれない、と思った。

other listners

リスニングに参加してくれた学生、 2011.10.7 Tran Binh Trong



exhibition "NOWHERE"

artist:mamoru, 下道基行, Tuan Mami
2011.10.29 − 11.20, 国際交流基金、ハノイ、ベトナム

写真: 下道基行

テキスト:高橋 瑞木、「美しいと言うこと」の自由について(展覧会小冊子に掲載)



THE WAY I HEAR / HAY LANG NGHE, HANOI, 2011

2011, サイズ可変
ブリキ箱、ノート、耳栓



installation view

instruction
ear plugs
THE WAY I HEAR
HAY LANG NGHE

installation view



or go to related articles on my blog



(c) 2012 a few notes production