「日常のための練習曲」mamoru 2013.2.9

「虹の彼方」展覧会カタログ掲載のテキストより



朝に目が覚め、何色のどの服を着て出かけようとか、どの店に入って何を注文して何から食べるのか、その後に珈琲を飲むのかどうか、その時に誰と何をどういう風に話すのか、お決まりのパターンを組み合わせつつ、無数の工夫やヴァリエーションを加えながら、計画していた事や、その時々の即興的な判断、好み、合理性、適当さ、妥協なんかも総動員しながら、微視的に見たらキリが無いほどの選択を繰り返し、結び合わせながら、その日その人なりの「たったひとつのルート」を作りだし、一日を「普通」に過ごしている。生活の中で何の気もなく発揮されているそういう創造力、色々なルールやしくみ、それと同時に、実際の生活の都合上やその人の能力の限界など様々な理由で捨てられ、選ばれなかった「その他のルート」に私は強い興味を持っている。
生活が上手くなる、という表現があるのかどうかはわからないけれど、何かを繰り返したり、観察して工夫しているうちにたいてい何かが身に付く事は必然的に起こることだから、きっと上手、下手があるんではないだろうか。同じ目的地に行くにしても裏道や早道を知っていたり、同じ材料を扱うにしても道具の使い道に長けているとか、そういう巧さは選択肢に幅をもたせ、生活はブラッシュアップされる。また他人の生活ぶりを覗き見たり、外国に行って「別ルート」を見つけ、そのエッセンスを自分の生活に持ち込むことで新たに開拓される可能性もある。

「日常のための練習曲」では、普段なにげなくやっている生活行為を少し違う流れの中で組み合わせたり、市販の日常品をそのまま使ったり、勝手に用途から逸脱し、カスタマイズしながら、微かな音を聴く場や時間を作ってきた。
例えば、こんなルートを描いてみる。近所のコンビニでミネラルウォーターを買ってくる。その水をゴム糸と一緒に凍らせ、天井から吊るす。氷は一雫ずつガラス瓶に落ち音をたてる。氷が溶けきったら、ペーパータオルを一枚とりだし、丸めてコップにつめる。ガラス瓶にたまった水をひとさじほど、丸めた紙に振りかけ、コップを耳のそばに持っていきカサカサとなる音にしばらく耳を傾ける。紙をひろげ、扇風機のスイッチを入れ、乾かす。その風は、さきほど空になったミネラルウォーターのペットボトルの口をなで、近くにあったハンガーを揺らし、微かな音楽を生み出す。そして大気に戻った水分は、またどこかの工場でペットボトルにつめられ、コンビニに還ってくるかもしれない。
幾つかの行為や、幾つかの物の使い方を取り上げて組み合わせ、新しいルートを作り出す。そんな事を繰り返し、そのルートを行き来しながら「練習」しているうちに、ついこの前まで行き止まりだと思っていた向こうに迂回するルートを発見したり、つまらないと思っていた場所の使い道を思いついたり、気にもとめていなかったモノが価値を帯びてくる。
そんな事がきっかけで、頭も体も夢中になって動きだすことがある。気がつくと思ったよりも高いところにいて、ふと立ち止まって、どうやって辿り着いたのか考えようとしても、大まかにしか思い出せない。1、2、3、、、と数える様に「あれとこれはした」と挙げられても、1と2の間に存在する数の全てを知ることは決してできず、ぐんぐん深みにダイブしていく、そんな瞬間にほんの小さな気付きは「テコの力」で、ふっと私の中の重たい何かを持ち上げる。その事をじっくりと観察し、なんでもない事が起こったのか、とんでもない事が起こったのか、そんな事を考えつつまた別の練習を考える





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