FIELDNOTES/「声」は確かにそれらを振るわせ育む(上方系のエネルギーになり得る)のかもしれない

2025年5月23日、台湾、台東縣、海端、霧鹿にて行われた射耳祭*にて行われた声による祭祀Pasibutbutを体験し得た「声々」に関する思索
*台湾原住民族の一つであるブヌン族の部落ごとに毎年開催される狩猟祭



こうして台東を訪れたのはもう何度目だろうか?2018年に國立史前博物館のレジデンスプログラムに招聘されて2ヶ月の滞在制作を行って以来おそらく5,6回は足を運んで来たように記憶している。台湾の原生を感じさせる山と海、全身に伝わってくる熱帯系のエネルギー。この地に惹かれる理由はたくさんあるが、台湾原住民族の人たちの現在の暮らし、伝統、慣習、世界観、その底辺に私が感じるサバイバル精神のような価値観、などに関心を持ったことも大きな理由だ。
台湾には16を超えるオーストロネシア語系の異なる部族が居り、それぞれに固有の言葉や文化伝統を現在も保っている。もちろん故郷を離れて暮らす者たちも多いので現実には台湾全島に暮らして居るのだが、部族的なグループ単位での居住という話しで言えばその多くが台湾の南部あるいは東部に根付いてる印象だ(そうなった歴史的な経緯はここでは触れない)。

今回の旅は、台東・花蓮の山間地域に暮らすブヌン族に伝わる祈りであるPasibutbutのリサーチが主な目的だ。滞在開始から1週間、4月最後の週末、とうとう念願のPasibutbutを体験した。もともと別のリサーチの過程で日本人民族音楽学者の黒沢隆朝による1943年の歴史的な録音音源に収録されたPasibutbutを聴いたことがきっかけで強く関心を持つようになった。大日本帝国による台湾植民統治時代末期に調査目的で録音されたこの音源と黒沢の論文、パリでの学会発表がきっかけで世界的に知られるところとなった男声多声合唱的な声による儀式なのだが、ブヌン族にとっての主要穀物である粟の生育や豊作を祈る目的で行われてきた。Pasiは祈り求める行為、butbutは団結を意味する。歌詞やメロディーはなく村の男達総出で輪になり、はじめから終わりまで一度も途切れることなく独特のルールに則って声を次々に重ね合わせていくのだ。その構造からしても歌や音楽と言うよりも音響的な祈り、と言えると思う。

私が今回訪ねた霧鹿部落(bulbul)では射耳祭(狩猟に関係する年1回の祭り、4,5月頃に行われる)の一環として行われたものだった。この村は標高800メートル弱の山間部に位置しており、その名の通り霧や靄がかかり、鹿やキョン(や黒熊も)なども日常的に出没するような場所だ。村人の総数は200?250人くらい。険しい渓谷を望む山裾に作られた段々畑、車がぎりぎりすれ違うことが出来る程度の幅の通りが村をぐるりと一周し、その左右に家が立ち並ぶ小さな集落だ。そして、おそらくその人口規模も影響してだと思うが、彼らの射耳祭は通常、観光客などの部外者は訪ねることができないクローズドの儀式である。
私は幸運にもPasibutbutに興味があることを知った友人が前回の訪問時に紹介してくれた文化人類学研究者のチアンさんに招待され、訪問を許されたのだった。彼自身は漢族系の台湾人だがこの村出身のブヌンの女性と結婚し、またブヌン族の一員となるべく冬山での狩猟を含む様々な通過儀礼を経てこの村の男として認められており、実際に今回訪ねた祭りでも全ての儀式に加わっていた。

儀式当日、Google Mapのロケーションで指定された友人の家に朝5時半に到着した。ずいぶんと早い時間のように思ったが、実際には粟やもち米を使った甘酒を仕込んだり、日の出からすぐに儀式の準備が行われていたり、と村の人達の準備はとうに始まっていた様子が感じられた。家に集まっていた友人の親類・家族を紹介され、甘酒を頂いた。ちょうど皆さんそれぞれに属する家系によって異なる色や文様をあしらった伝統衣装を身につけるところだったが、どれも色鮮やかな織物に刺繍が施されており見ていて飽きない。チアンさんの奥さんの妹さんが伝統技術の継承者の一人らしく彼女が全て自ら織ったものだった。若い世代にもそういった技術や文化が伝えられていることを知った。伝統的な文様を象る刺繍には発色の良い蛍光色のものも使われており割と目についた。きっとアクリル毛糸のような現代的な素材も取り入れたりしているのだろう。いわゆる「伝統的な…」というフレーズにおさまるものはとかく固定された何かが強調される印象を持つ気がするが、この辺りのアジャストメントというか、フレキシブルさ、目的に適うものであれば昔から使われているとかいないとかに関わらず積極的に利用するスピリットが原住民の人たちの暮らしのそこかしこから感じられるものであり、衣装作りにも同じ精神が生きづいているように感じ興味深く観察した。

生々流転のフローの中にあり、絶え間なく「変化」していることが生き(てい)る証だと言えると思う。「伝統」の剥製化、形骸化を避けるには「伝統」を生み支える固有の世界観や価値観、文化の本質である体幹のようなものの強さ、しなやかに動きつづけることが重要なのかもしれない。むやみに手を出し、なんでもかんでも無作為に取り入れることが「伝統」を活かすわけではない。肝心要を守るためにタブーやしきたり、教えが実践される機会が当然あって、「伝統」の方向性を定めていく。

これは儀式の中にも見られることだ。一連の儀式と催し物によって構成されている射耳祭だが、村の中でもっとも神聖な場所で行われる最初の儀式は村の男しか入れない厳然とした結界の内側で行われる、がそこは舗装された小道とログで作った柵を模したコンクリートの柵で区切られ、おそらく今日のために草刈りが綺麗にされた(だけの)空き地のような場所であり、奥にある小さな祠とそこに吊り下げられたたくさんの鹿の髑髏があり特別な場所であることは明らかなのだが、とりわけ厳格な張り詰めた雰囲気のようなもの、「神聖なオーラ」みたいなものはほとんど感じない。「結界」であることは間違いないのだが、一見した程度ではさほどその外と特別違うとも思えない感じの空間なのである。遮るものなく外から眺められる、という事実もまたそれを助長しているのだろう。秘匿感も何もない。そして、そこに伝統衣装をまとった集まっている男達の表情やしぐさにも過度なシリアスさや特段の緊張感はなく、むしろなんとなく普段通りのんびりとしている様にわたしには思えた。

タブーとしては村人であっても女性はこの結界内には入れない、結界の内外に関わらずおならとくしゃみは禁忌、特定の違反行為(詳細は各部落でも変わるため明確にはわからない。他の儀式のタブーなどから考えると儀式前に悪夢を見た、禁忌期間に性交を行った、特定の箇所を怪我している、などが考えられる)をおかしてしまった人は結界内には入れないなどがあり、この点は厳密に守られる。実際、霧鹿部落でも村の人かどうかはわからないがある女性から手渡されたカメラを結界内の男が受け取ろうとした際に村のリーダーから注意をうけていた。

大部分の男達は叢に座って祭司の方を向いている。時折、どういうタイミングなのか見ていてもわからかったが、数名の男が手に持った猟銃を打ち銃声をあげる。祭司は何種類かの木を祭壇の前に組み、火を起こし煙を焚いて祈願を開始している。村の男達のうち何人かが座っている他の男達に棒のようなものを配ったり頭数を数える仕草を続けている。あとで聞いたがこの儀式時に村の人口調査のようなものもなされていて儀式の大事な一部なのだそうだ。
れっきとした手順や進行(儀式の順番や歌の順番)は存在するが、それらもそんなに理路整然としているように感じるわけでもなく、あくまでも自然体である。男の数を数える人(ちなみにPasibutbutの輪にいたのは35人くらいだった)、場の端の方で猟銃の祝砲?をひたすら用意したり発砲したり掃除したりしている人、座ってスマホをいじる人、祭壇の掃除や儀式の用意をする人、犬を追い出す人。
大げさに言えば祭司が大事な役割を担っていることは間違いないが、必ずしも絶対的な軸ではない。非中心的で複数性の強い状況。要するに日常に限りなく近い感じかもしれない。結界はあるのだが、その中に居る男達の何人かはスマホで儀式の様子を撮影したり、結界の外の人に声をかけ結界内にいる親子が記念撮影をお願いしていたり、というような場面も見かけた。
タブーはあるのだが、それは儀式の目的やファンクションに準じたものであり、なんでもかんでも規律規範と一つの様式によって、雑多な人や雑多な時間の流れを強制的にひと縛りにし、型におしこめるような様子がない。あの快適さはなんだろう。おもわず微笑んでしまうような。そうそう、このくらいでいいよね、というような必要最低限のしきたり。うまく言えないが、ゆるさというよりも「優しさ」。そんな感じが結界の内外に満ちているような。
くっちゃべっている人はずっとくっちゃべっているし、子供が走り回っていたり、犬がうろうろしていたり。そういう周縁にある生きた要素はコントロールされることもなく、そんな意図もなく、ただ自生する要素(カオスではない)としてあっていい、というような大層で上から目線なものもない。世界はそういうものだ、というおそらく言語化すらされていない認識、「特別と平易」のような序列や優劣とは違う体系ー当たり前で然るべきを重んじる当然の系。

余談だが、こういう空気にふれるといつも思い出すのはバリのコンサートではなくローカルな集まりで演奏されるガムランやジョグジャカルタの郊外などの小さな集落でおこなわれるコミュニティーのためのワヤンなどに共通する硬さのないしなやかな時間。あれらは「ゆるさ」と言うニュアンスでは言い表せない、いい加減や適当というよりも、無理がない、無理はしない、そう、あれはきっと「そもそも」の様なあり方。普通に笑ったり、泣いたり、起こったり、だるそうにしたり、猫がステージにあがってきたり、演奏している人の子供が演奏者の脇で寝ていたり、いつもと何も変わらない。それはたまたま現代的な目的至上ベースに発生する正誤がある世界とは異なる趣(種)であり、異なるあり方だ。本質は優しく、しなやかで、それがあるべき場にある。中心ではない、あるいは中心にあるのかもしれないが、それぞれ当然あるべき場で然るべき状態にある結果にすぎない。

結界内の儀式の最後に蒸した小米(粟)のちいさな塊が男達全員に配られ、それを一斉に祭壇になげつける場面があるのだが、そのときも実に楽しげな掛け声があがり、祭祀を行うというより、何かしらのゲームを皆でやっているような雰囲気で盛り上がる。なんだか楽しいな、という笑い声と笑顔、そんな雰囲気の中で、結界の中の最初の儀式はなんとなく終わっていた。結界となっている小道を渡ると残りの儀式や催しものが行われる小さな広場があって、男達が結界を出て、そこに向かって歩きはじめたことで、外にいたわたしにもそれが終わったことがわかったのだ。いたって普通というか、だらだら歩いているし、誰かと話したりしている。そういう空気感はそのままに。

広場の入り口では炭火が置かれており一人ひとり火を跨ぎ、灰をつかみ撒く。詳しくはわからないがお清め的な行為なんだろうか?密教にも似た修行?があったように思うが、ここではあいかわらずそんなに張り詰めた感じはない。その先には長老が一人腰掛けていて、彼が一人ひとりの耳に何かを囁くような仕草で息を吹きかける。雰囲気からして何かしらブレッシング・祝福行為かな、と思っていたがそういう側面と儀式中にバンバンと鳴り響いていた銃声でダメージをうけた耳をいたわる?お祓いのような側面もあるらしい。男達が列をなしてこの2つの儀式を済ますと、狩られたキョンが置かれ、子どもたちが集められて弓矢で的となったキョンを射る儀式(というよりやはりゲームに近い)がはじまる。自然、と人々が(スマホ片手に)共同体の集会場にあつまった状態になる。

このあと声の儀式がはじまる。録音を聞き返してもPaisbutbutがはじまるよ、というか、やりますよみたいなアナウンスはあっても、皆さんお静かに!みたいな注意事は言っていない(と思う、し周りもそれぞれの意思・関心・タイミングでしか声に集中しない)。日本語でいうなら粛々と、じゃないにしても、淡々と儀式は進行する、となるのかもしれないが、それともまた違う。儀式自体は熱い、そしてかなりmovingだ。本当に(感)動的なのだ。

BulbulでのPasibutbutの様子:YouTube動画
※このビデオはフィールドノートの参照としてのみ掲載しています。転載その他の二次利用は固くお断りいたします

何人もの男達が輪になり、隣り合う人の腰のあたりに手を回し結束し、3人のリーダー達の声を軸にしつつ、旋律的なフレージングを一切使うことなく、「あー」とか「おー」とかの母音からなる幾つかの音*を複数人で繋ぎひたすら長く響かせながら、決められた音程関係で重なるようにする。と、だけ書くと単純な音の塊を想像すると思うが、ここにたったひとつのシンプルだが決して容易ではないムーブメントが加わりこの構造を動かしていくのだ。
Pasibutbutの最大の特徴でもあるこのムーヴメントは、男達が発する声の基になるドローン音の音程が少しずつ上昇していく点だ。つまり3人のリーダーの内一人が発する声の音程が徐々に上昇していくのに合わせて、他の二人のリーダー達も決められた音程関係を調整し重ね直すのだ。その動きに合わせてそれぞれの声に従っている男達もまた常に音程を調整しなおしながら発声を続ける。最初に発せられる基音の音程、その音程がどのタイミングやテンポ感で徐々に上昇するのか、グループ全員が相当な集中状態を作らなければ出来ない事だ。
他のリーダー達の反応、他の男達の反応、など全てが同じルールの中にあるものの、ディテールまで含めると一回性の音であり、それが今まさにつくられているという緊張感の連続で作られている。その結果、この時・この場に声々は介入しはじめる。シンプルな上方系のクライマックスの予感を徐々に高めながら、信じられないくらいに複雑で芳醇な声の重なりによって生まれた振動が辺りの全てを揺らし始め、その「時・場」にあるすべてが共振しはじめる。男たちの声が一方的にそれ以外の「環境」を揺らすというのは余りに人間本位かつ優位な言い方だしPasibutbutのスピリットにも沿わない。というのも、一番はじめに基本となる音/声を決め発するリーダーは周囲に耳をすまし、リスニングを通じて自らの声をチューニングするところからはじめているからだ。ここにはおそらく優位性はなく、互いに関わりあいのある流動的な関係があるだけではないだろうか。そうでなくてはあの共振関係は生まれない。
声が意味的にも物理的にも届く期間と範囲を「時・場」だとすると、その全体が声の高鳴りによって高揚するもっとも美しい瞬間があった。そしてそれが声ならではだな、と思うのは、あたかもシンギングボウルが一定以上の振動を持続させ始めうなり始めるあの瞬間のように、寄り集まってできたコレクティブなのが重なりその強度・インテンシティーがある閾値・スレッショルドを超えて場全体の空気・環境をゆらしはじめる瞬間にそのテリトリー内にいる全ての存在が、ある物理法則に則って、すうっと声(々)に合わさるかのように、あるいはもともともっているそれぞれの波長を最大限に発し共振しはじめるのだ。
ぺちゃくちゃと勝手気ままにまだ話している人たちもいる、犬も走り回ったりしている、スマホをいじっていた人もいただろう、そして周囲の自然は変わらずもっと基本的な法則と原理に則って動いている、だがその「時・場」そしてそこを満たす空気全体としてはPasibutbutの音を一時的な中心としてメタフィジカルな泉のような上方系のエネルギーの流れが強まっていくのだ。リスニングする人たちの想いも加わり、その流れに寄与しはじめる。この時感・時間、引き上げられていく感じ、これがPasibutbutの力ではないだろうか、そして楽器ではなく声、しかも男声で行われることに音響物理的な選択の真実を感じる。倍音だ。低い声々が重なることで通常は「聞こえ」に達していない高次倍音が可聴音に変わる。声明や各種のチャントでも音響効果の深い神殿や祠、聖堂においてこの現象はある種の神々しさをまとう特殊効果のように使われているが、Pasibutbutは屋外環境に囲まれた場、上方系の音の振る舞いとそれを生み出す男たちのゆっくりと旋回する輪、そこに非日常的な高次倍音の響きが可聴されはじめることで加わることで新たに「声のテリトリー」は視覚範囲や聴覚範囲を超え擬似的に「世界全体」を巻き込みはじめる。
男たちは腕を互いの腰に回したままゆっくりと移動し始め、儀式の行われている広場に据えられたあずま屋、柱の上に屋根をのせ周囲を簡単に低い壁で囲った非密閉空間/屋外と屋内の中間的なもの、に声をうごかしていく。他の部落でもこのトランジションがあるのかどうかはわからないが、Bulbuで体験したPasibutbutに関して言えばこの東屋への移動がかなり重要な要素だと思えた。
天井までは達していないとはいえ固い壁の内側に音群が移動し、男たちがより密集した状態になったことで声々は集約され、増幅されていく。一段と強まった声と緊張感が最高点に達した時にリーダーが最後の声を挙げる。とたんに声々/音/振動/エネルギーは放射され、周囲の環境に、Pasibutbutの原義的には粟に、宿るのだ。粟に宿った声々/音/振動/エネルギーは形を変え、成長し、収穫され、食されて、生活のあらゆる場面で村人たちの間で伝播し、循環し、また次のPasibutbutへとつながっていくのではないだろうか。

これまでいろいろな音楽を聴き、音にまつわる儀式や実践にも触れてきたが、いわゆる民族音楽や現代音楽を含めてもPasibutbutと似たような構造をもった音楽も、それに近い印象を持った音の儀式も私はひとつも知らない。言い換えると「珍しい音」であることは間違いないのだが、奇をてらった感は一切なく、むしろ「願い」や「祈り心」から生まれたシンプルで力強い上方系の音の振る舞いが独特のムーヴメントを生み出した稀有な例なのかもしれない。「こんな声の在り方(用い方)があったんだ!」と、感心すると同時に「この手があったか!」という納得もある。発見、尊敬、共感も入り混じった感動・リアクションが自分の中にひきおこされる。数百年か数千年かわからないがはるか遠い昔にこの音の形を聴き取り声を挙げた人たちの有り様は2025年現在においても、実際に、bulbulの村でPasibutbutを経験して、今を生きている/これまでもそうであっただろうこと、を体感した。これは疑いようのない事実であり、部族の人口的な規模を考えるなら、彼らの文化的なサバイバル力・耐久性・柔軟性と強さは驚くべきものだ。

サイドノート
2025年Bulbulに比べると村の規模がおそらく5?6倍は大きい上に、大きめの町にも近く、セブン-イレブンが村の中にあったりとより現代的な環境に近い村であること、山裾で大きな川の近くの集落であるというロケーションも影響して儀式も外に開かれたものであった。

早朝の儀式(おそらく男たちがあつまり煙を焚いたりするパートだろうか?)は参加できなかったが、7時にCiangと合流し、バヤンの木に鹿の髑髏が括り付けられた祭壇に男達があつまり粟(小米)で作った餅のようなものを投げつける神事などが行われる聖なる場所(セイクレッドサイト)にも部外者のわたしが立ち入ることが許されたり、射矢をすることができたり、とありがたい面もあったのだが、Bulbulでの儀式と比べると全体的にやや簡略化された感があった。

火跨ぎ、耳に息を吹きかけるパート、首刈りの歌(狩った獲物と自分を結びつけて自己紹介している、とチャンから聞いた、マリスタパン?)が歌われる場所(首長の家の軒先)にもビジター、村人関係なく集まる。ここからは例のごとく男女も関係なく参加できる。

そして、三々五々人々は村の小学校に集まっていく。ここで9時以降に催しが会される。ここからのパートは「儀式」ではなく、コミュニティーの催し・イベントである。独特の家族対抗ゲーム・スポーツ(カップル対抗風船割りがシモネタ的悪乗りする人たちが多くて笑えた)、若者の踊りがあったり、伝統歌唱もあったがオン・マイクであった。それと気になったのは拍手や、ステージ的な声が発せられる方向があったことだ。残念ながらPasibutbutもこの流れの一つとして行われた。さすがにマイクは使われなかったがグラウンドの作り(芝生エリアを土のトラックが囲み、その周りに人が陣取っている感じ)、その規模感も手伝って声の重なりを感じるには遠すぎたり、変化のディテールが聴感上で失われてしまっているせいか、かなりの距離感を感じた。やはり間近で経験するにこしたことはない。ただ唸り声が聞こえてくるボリュームになったときに周囲の空気が変化する感じは顕在だった。
前々から疑問に思っていたことだが射耳祭は狩猟祭であって、Pasibutbutが行われる本来のタイミングでは必ずしもないんではないか?という疑念はやはりある程度正しかったようで、後から訪れた海端の資料館で説明された小米の生育にまつわるタイミングに従うのが本来の姿だったようだ。おそらく二毛作の粟作におけるPasibutbutのタイミングがこの祭りと重なることがよくあったのだろうか?それとも今どきコミュニティーが一度に介する機会が限られていること、Pasibutbutをはじめいくつかの伝統合唱がいまや部族のアイデンティティーとなっており伝統継承のために頻繁に行うようになったのか。。。想像するしかないが、またやや飛躍した考えかもしれないが、昔は小米の生育を祈願したPasibutbutだがコミュニティーそのものの成長を祈願する行為に転化したのかもしれない。

いずれにせよ、初来と霧鹿の儀式やPasibutbutの行われ方においてわたしが感じたインティマシーの差というのは、形骸化という簡単な言葉とは少し違うように思う。村の人達はあきらかにこの機会を大切にしていたし老若男女皆会していた。生活と接続した状態でもあったと思う。そう、むしろこの生活と地続きである度合いが変わらず強いことから、ここの村の生活の変化をおそらく表わす形で変化した、のだろう、そんな印象だった。最初に書いたとおりの村の感じを反映するものだと思った。

その後、Ciangの奥さんや親戚達の働く「海端郷布農族文化館」というブヌン族文化センターに立ち寄った。

ここのパネル展示も興味深いものだった。粟の生育とBununの生活環がいかに結びついているか、というものを示すものだった。面白いのは一番上のフロアが全ブヌン運動会的なものについてのものだということ。それほどにアッセンブリーが重要なのだ。記録映像をみていて、国旗掲揚のようなシーンで奏でられるファンファーレ的な西洋音楽とそのしきたりのスーパーインポジションの様子に苦笑いしてしまうと同時に、これは日本の姿でもある、と思った。そうわたしたちは似たような西洋的な文化影響下に良くも悪くもあるのだな、と。とりいれることはふつうのこと。混ざり合っていくのは理。外来性の何かに影響されることはいたって自然な流れだし、文化が生きている証左に他ならない。この全ブヌンのアッセンブリーの際もPaisbutbutが精神的なユニティーの象徴として行われる。やはり初来で感じた、粟の生育からコミュニティーの生育へとその響き・エネルギーの注ぎ先転換に関する考察はあながち間違ってもいなかったのかもしれない。文化は動いている状態が健全で活きている状態だが、その動きのイニシアティブを「誰が」「何が」握っているのか、外来性の文化があくまで元の木の管理者たちによって接ぎ木されハイブリッド化しさらに新たな命を得ようとしているのか、それとも外来種がその地域の固有種の性質を根本から変えてしまおうとしているのか、そんな事を考えさせられた。



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